永嶋 哲也 教授 インタビュー
――どうして哲学を勉強しようと思われたのですか。
永嶋:考えることが好きだったから哲学とか思想的なことを勉強したいと思って、九州大学の文学部に入学して、そして哲学科に進学しました。
――ご専門は中世哲学だとお聞きしましたが。
永嶋:はい。当時の九大には稲垣良典先生という日本でも指折りの中世哲学の研究者がいらっしゃったんですね。なので、せっかくなら稲垣先生のもとで勉強しようかと考えて、中世哲学の普遍問題を研究しました。
――現在の研究で興味をもたれていることは何でしょうか。
永嶋:今私が興味を持っているのは「尊厳」っていうことばで、現代の医療倫理のキーワードにもなっています。「高齢者の尊厳」とか「患者の尊厳」とか「尊厳死」だとか「尊厳」という語が使われますが、「尊厳とは何ですか?」という質問に答えるのは意外と難しい。
――確かに難しいお話ですね。もう少し説明していただけますか。
永嶋:尊厳は価値なんですよ。人間の尊厳っていうのはたとえば誰にだって尊厳があって、つまりその人が人格的に立派だとか立派じゃないとかあるいは外見が美しい美しくないとかは全く関係なしにありとあらゆる人が持っているような価値、人なら誰もが持っている価値が人間の尊厳なんですね。その尊厳の価値はどこから出ているか。カントは、人間が理性的だからであると、理性によって自分で決めて行動できるからどんな人間にも絶対的価値があると説明しています。
――なるほど。先生も同じお考えですか。
永嶋:ええ、まあ、それが学問的な通説ですから。とはいえ、この考え方には源泉となるものがあったのではないかとも考えています。私が主張しているのは、尊厳はキリスト教倫理に基づいているということです。キリスト教倫理の隣人愛という考え方があって、神はどんな人であろうとも分け隔てなく愛している。だから、あなたたちも神にならってどんな相手であろうと愛しなさいっていう考え方があるわけですよ。尊厳っていう考え方の源はそこだろうと考えています。
――尊厳が愛を生み出したということですか。
永嶋:ええ、そういうことですね。キリスト教的な隣人愛というのは、価値のあるものを愛するような愛ではなくて、理由なく愛して愛する対象に価値を与えるような愛なんですよ。その愛が生み出した価値が今日言う「尊厳」のおおもとだと考えています。
――愛って言っても普通の恋愛とはずいぶん違うんですね。
永嶋:そうですね。宗教的愛は今お話ししたように、神様が私たちを分け隔てなく愛してくださっているように、私たちは隣人を愛しなさい。それが、どんな人であろうと、自分の敵であっても愛しなさいという考えです。一方、恋愛は基本的には美、美しさゆえの愛ですね。外見的な美しさだけではなく、内面的な美しさも含めて、なにかしらきっかけがあるわけですよ。そのきっかけは、だいたい美しさなんですが。これはもちろん、キリスト教の隣人愛とは全く違います。ただ、ですね、恋している人がよく自分の恋愛感情を正当化しようとします。私の論文では「恋愛は神的愛を模倣する」という表現を使いましたが、その正当化の時に、自分がいだいているこの恋愛感情もある意味で神聖なものだと主張するわけですよ。愛って素晴らしいんだから、神への愛ほどじゃなくてもやっぱり素晴らしいものなんだという仕方で自分の恋愛感情を正当化するんですよ。実際、中世の騎士物語なんかで恋愛は、神への愛に似せる形で描かれています。
――次に学生教育について聞かせて下さい。先生は哲学と倫理学の先生として教壇に立ってらっしゃいます。哲学系の科目としては「自分の頭で考える」ことを学生に伝えたいっていうふうにおっしゃっていますが。
永嶋:歯科医師はサイエンティストでなければいけないわけです。大人になって独り立ちすれば教えられたことだけ出来たって駄目じゃないですか、自分で考えてこうしようとか考えることができなきゃいけない。で、哲学が面白いなぁって思うのは、理屈だけで考えなければいけない科目なんです。うまくいくかどうかわからないけどとにかく試してみようとか、なぜだか分からないけどとにかくこれでうまく行くんだよとか、そういうことが一切ない学問なんですね。大学で学ぶ学問のなかに一つくらいは頭で考えるだけで対処しなければいけないような科目っていうのがあってもいいんじゃないかと考えています。
――倫理学では「まっとうな大人になる」ことを学生に伝えたいっていうふうにおっしゃっていますが。
永嶋:これは説明が難しいんですけど、例えば、朝、通勤や通学をする時間に信号待ちをしている場面を想像してみてください。子供たちもちゃんと止まってまっている、そういう場面です。そういう時に、たまに大人が信号無視をして渡っちゃうことがあるんですよ、子供たちが見ているのに。そういった大人の姿はとてもそれはみっともないものですね。「まっとうな大人」って、そういう「みっともない」という感覚を持つってことではないかなぁと思います。
まあ、確かに倫理学を勉強することによって、そういう感覚が身に付くかというとそれは難しいかもしれないんですけど、そういうことを考えるきっかけを与えることはできるかなぁとは思うんですよね。迷ったような時にふと思い出してくれて考えるきっかけぐらいにはなってほしいなぁとは思ってるんですけどね。
医療倫理に関しても、授業をきっかけにしていろいろと意識しておいてくれれば、臨床研修医の期間を経て独り立ちする頃には生命倫理の問題に対しても何かしら自分の見解なり見通しなりを持てるようになるんではないかと期待しています。
今後も哲学の研究を続けて、また愛と尊厳のお話を聞かせて下さい。本日は、お忙しいところ、ありがとうございました。
永嶋教授からのビデオメッセージ