山田 和彦 准教授 インタビュー
――先生のご出身はどちらですか?
山田:山口県の周南市です。周南市は工業地帯で、私が過ごした時は高度経済成長期のピーク時だったので、活気に溢れていましたね。
――どのような幼少期・学生時代でしたか?
山田:小学生の時に剣道を習い始めて、あまり一生懸命に取り組んではいなかったのですが、ずっと剣道をしていました。福岡歯科大学でも剣道部に勧誘されて入部することになり、5学年の時には主将を務めました。主将を務めていた時に全日本歯科学生体育大会(オールデンタル)で優勝することができ、ずっと剣道を続けてきてよかったなと思っています。
(△下段左から2番目が山田先生)
――今の道に進まれたきっかけを教えてください。
山田:祖父、父ともに歯科医師でしたので、小さい頃から自分も歯科医師になるものだと思っていて、自然と歯科医師になる道を選びました。
――現在の趣味や続けている習慣はありますか?
山田:なかなか行くことができないのですが、かつて所属していた保存科ではゴルフが盛んだったので、自ずとゴルフを始めました。当時はよく医局の先生たちとラウンドし、1泊2日での医局旅行も2日間ともゴルフ、というような本当にゴルフが好きな医局でしたね。現在はとても無理ですが、一番調子が良いときは80台のスコアでラウンドできたことがあります。一度だけですけど(笑)。
――かなりの腕前ですね。学生生活、教員生活を通して目標となった人物はいましたか?
山田:とにかく先輩たちによく指導してもらい、それが現在にも大きく影響していると思います。部活の繋がりもそうですが、学生時代は寮生活だったのでいつも大学の仲間と過ごしていました。
――寮生活はどんな感じでしたか?
山田:当時は3つの寮がありました。20~30人所帯の「田奈加(たなか)荘」、10人所帯の「縄田(なわた)荘」、それから「今瀬(いませ)荘」です。私は「田奈加荘」に入寮し、6年間過ごしたのですが、寮内に技工室がある珍しい寮でした。1学年から6学年までの学生がいて、とても賑やかでした。今はこのような寮がすべて無くなってしまったので少し寂しいですね。
――大学卒業後は大学院に進学されたのですね?
山田:卒業後は歯科保存学第一講座(現:口腔治療学講座歯科保存学分野)に所属させていただき、月・水・金曜日は教授が電子顕微鏡を用いた研究や、アニマルセンターで実験をするので、研究の手伝いをしていました。また、自分自身の研究としては、ラットを用いて米粒の半分くらいの歯の根管治療をしていました。そうすると人間の歯がとても大きく感じるようになりました。
――米粒の半分ですか!手先が器用なんですね。先生が所属されている総合歯科とはどういった科ですか?
山田:初診の患者さんも診ますし、最後まで治療もする、間口の広い科ですね。2001年に開設されたのですが、当時の教授に誘っていただき、たくさん臨床経験を積めるのではと思い入局しました。
――先生はかなり多くの患者さんを診ることで有名ですが、一日にどれくらいの患者さんを診るのですか?
山田:一日に25~30人の患者さんを診ています。
――診察する際に心掛けていることはありますか?
山田:一番は患者さんとのコミュニケーションですね。どういったことに困っているのかをしっかり聞くように心がけています。
――診療で印象に残っていることはありますか?
山田:一番嬉しいのは、患者さんが別の患者さんを紹介してくれることですね。約30年間この福岡歯科大学で診療していますので、親子3代の治療をしたこともあります。
――当院実習(第5学年)の学生さんと接する機会も多いと思うのですが、どういった印象がありますか?
山田:大人しくて素直な学生さんが多い印象です。伝えたいことはたくさんあるので、もっとどんどん質問してきてもらえたらなと思います。
一方で、それまで大人しかった学生さんが、臨床に触れることで目の色を変えて積極的になることもあるんですよ。そのような学生さんを見ると、嬉しく思います。
――研修歯科医の指導もされていらっしゃいますが、研修歯科医はどういった心掛けが必要でしょうか?
山田:見ているだけではなく、たくさん体験してほしいですね。そのためには練習が必要です。今はシミュレーション室などいつでも自由に練習できる環境が整っていますので、積極的に活用してほしいです。
△研修歯科医を指導する様子
――最後に、歯科医師を目指す方に一言アドバイスをいただけますか?
山田:何事にも積極的に取り組んでほしいですね。歯科医師業界は縦と横の繋がりがとても重要です。勉強や部活などに積極的に取り組むことで、充実した学生生活、国家試験合格、その後の歯科医師人生にも繋がってくると思います。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました!
山田 准教授からのビデオメッセージ