松浦 尚志 教授 インタビュー
――先生の出身地、魅力について教えてください。
松浦:生まれは北九州市の八幡西区です。その後、小学生まで同市の小倉南区に住み、父の転勤を機に中学校に入る直前に福岡市早良区田村に引越しました。福岡は食べ物が美味しくて、物価が安いところが魅力だと思います。
――幼少期・学生時代について教えてください。
松浦:小学生の頃に住んでいた小倉南区は自然が広がっていましたので、虫捕りに熱中していました。真面目に勉強をするようになったのは、小学6年生で塾に行きはじめてからです(笑) 中学校では、近所に住んでいた友人と一緒に卓球部に入りました。高校は自由な校風で自立・自尊を尊重する学校でしたので、好きなことを好きなだけやったという感じでした。
――今の道を進まれたきっかけを教えてください。
松浦:高校生の頃は自然科学の研究者になりたくて、宇宙物理学などスケールの大きなことをやりたいと夢見ていましたが、途中で断念して、父と同じ職業の歯科医師を目指すようになりました。父は当時本学の歯科補綴学第二講座(冠橋義歯学)の教授を務めていましたが、父の勧めで有名な歯科補綴学の教授が所属する広島大学へ研究者になる心づもりで進学し、卒後はその教授を慕って歯科補綴学第一講座(有床義歯学)に入りました。 広島大学の大学院修了後、4年間歯科臨床を研鑽したのち、もっと研究を研鑽したくてアメリカのノースキャロライナ大学歯学研究所に2年間留学しました。そして、紆余曲折の末、本教室の前任の教授であった佐藤博信先生(現:名誉教授)からオファーを受け、2000年4月に本学に着任しました。
(左:アメリカのラボの上司 山内夫妻と 右:アメリカのラボメンバーと)
(本学赴任当時ラボメンバーと)
――現在の趣味や続けている習慣はありますか?
松浦:体調を整えるため、ウォーキングを続けています。徒歩で通勤しているため、一日平均7kmくらい歩いています。4年前はもっと歩いていて、小倉から長崎まで旧長崎街道を始めから終わりまで10日くらいに分けて歩いたりしていました。私は歴史が好きなのですが、長崎街道には所々歴史的な遺物が残っていて、旧街道がそのまま残っているところで坂本龍馬やシーボルトも歩いたのだと当時を想像して感慨にふけることがたまりませんでした。 その他、余暇の時間は歴史や哲学の本を読んだり、何も考えない時間を作るなどして、なるべく気分転換するようにしています。
――学生生活、教員生活を通して目標となった人物はいましたか?
松浦:今の私という人間の形成に欠かせなかった方が4人います。 一人目は大学院時代の先輩で、この方から研究者と臨床家としての心構えを学び、鍛えられました。 二人目は広島の総合病院の歯科に勤めていた時の上司で、この方から臨床での歯科医師が持つべき心構えや考えを学びました。 三人目は広島大学での上司で、研究の心構えや論文の書き方について学び、時間を無駄にせず討論することの大切さを教わりました。 四人目はノースキャロライナ大学のラボの上司で、哲学的な話をよく聞かせてくださいました。私は本学に来て20年ほどコラーゲンに関する研究をしましたが、それはその先生との共同研究のおかげで、共同研究によって3人の大学院生が学位を取得しました。 この4人の先生のうち、もしお一人でもお会いできていなかったら、今の自分はなかった、今の自分とは違った自分になっていたと思っています。
(アメリカでの休日。長女、長男と)
――先生の専門の研究について教えてください。
松浦:5年前まで骨組織あるいは歯肉や歯槽粘膜などの軟組織のコラーゲンの研究をしていましたが、現在は遺伝子多型と歯科疾患との関連を追及する研究を始めています。 ヒトの遺伝子には、およそ500から1000塩基に1個、特定の位置で違いがあり、この特定の位置での遺伝子の違いが遺伝子多型です。遺伝子多型は一人あたり約300万個以上ありますので、それらの総体がヒトの個性を作っています。遺伝子多型で良く研究されていることは、薬の効きやすさや癌のなりやすさに関することです。遺伝子多型の研究の意義は、疾患のなりやすさのメカニズムから個人に合った薬の開発ができるようになることにあります。神経伝達物質の代謝に関わるある因子の遺伝子多型に着目して、中枢神経機能の異常が疑われる歯科的疾患との関連を追及していくつもりです。まず、歯科心身症との関連を調べようと、高齢者歯科学分野の梅崎准教授と共同研究を開始しているところです。
――研究されていて困難にぶつかった際には、どのようにされていますか?
松浦:そのことについて考えることを一旦止めます。そして違うことをしていると、突然良いアイディアがひらめくものです。何気なく外を歩いているときとか、お酒を飲んでいるときとか。かえって頭がリラックスしているときにアイディアがでると思っています。これは一人目の恩師に教えてもらったことで、研究者は一人でいる時は四六時中研究の事を考え続けるもので、歩いているときも、一人で食事をしているときも突然アイディアがひらめくものだから、必ず忘れないうちにメモを取るように、とアドバイスを受けました。翌日にメモを見て、「くだらない」と思うことがほとんどですが、たまに「面白いな」と思うことがある。それでいいんだとおっしゃるんですね。結局、研究というのはアイディア勝負なので、いつも考えている人にのみ良いアイディアを神様から与えられるのだと思っています。
――補綴科について教えてください。
松浦:歯が部分的になくなっているところに入れ歯やブリッジ(欠損した所を両隣の歯を支持として使い、欠損した所を補う治療)を入れて咀嚼機能や口腔機能を回復させる診療科です。
(左:医局旅行 右:国際学会)
――診療する際に心がけている事はありますか?
松浦:二人目の恩師から学んだ、「自分だったらどうされたいか、自分の身内だったらどうしたいかを必ず考えること」です。すべての患者さんを自分の身内だと思えば、いい加減なことは決してできません。必死で勉強、研鑽するのです。また、真面目に考えるほど、エビデンスに基づいた勉強を多くしたいと思うようになります。
(若手に指導しながら診療)
――診療での印象に残っている出来事、患者さんなどはいますか?
松浦:今までで一番印象深かったのは、がんの末期で亡くなる前日まで来院された患者さんです。定期的に受診をされていた方だったのですが、がんの末期になって頻繁に義歯による歯茎の痛みを訴えるようになり、週に2、3回も来院されました。亡くなる前日はあまりに体が辛そうにお見受けしたので何も治療を施さずに、「まずは家でゆっくり休まれて下さい」と申し上げ、納得して帰られました。後日、奥さんから来院した翌日に亡くなられたことを伺いました。「たぶん、主人は最後に先生にお別れを言いにいったんだと思います。」とおっしゃいました。とても感慨深い経験でした。
(患者さんとしっかり向き合う)
――学生への指導において心掛けている点や印象に残っている出来事はありますか?
松浦:学生さんには歯科という仕事に対して積極的かつ前向きに考えられるようになってほしいと思っています。自分たちがやっている仕事はどれだけ価値があって、どれだけ必要とされているのか、そして歯科医師という仕事をできることがどんなに幸せなことかということを自覚することが大事だと思います。学生さんがそのように考えられるように、私たち教員も心と態度で表現していきたいものです。
――本学の学生の印象について教えてください。
松浦:素直な学生さんが多いです。素直なことは人として非常に大事なことだと思います。いつも絶えず正直でいてほしいと思います。
――本学の教育姿勢について教えてください。
松浦:他大学の学生さんが本学で配布する資料を欲しがっていると聞きます。本学の教育は学生が理解しやすいように、教員がいろいろと思考を巡らせ資料を作成して工夫を施しています。私も学生時代は本学に進学していた弟が持っていた講義資料を見たり、父から6年生に対する国試対策の話を聞いて、どれだけ国家試験に向けて配慮しているのだろうと、非常にうらやましい気持ちでした。きっと他大学の学生さんの中には本学の教育に対しうらやましい気持ちを持っている人が少なくないのではないかと思います。教員と学生が一体となって卒前の教育に努めていることが本学の特徴ではないかと思います。あとは学生さんが与えられた資料で満足して自学自習を怠ることが決してないように、前向きに、楽しんで勉学に励んでほしいと思います。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました!
松浦教授からのビデオメッセージ