藤兼 亮輔 講師 インタビュー
――先生のご出身を教えてください。
藤兼:生まれたのは大阪ですがその後すぐに山口県に移り、大学卒業まで過ごしました。 大学院進学で再び大阪に戻りましたが、2年後研究の都合で福岡にやってきました。
――部活動は何かされていましたか?
藤兼:中学校ではテニス部、高校時代は弦楽合奏団でチェロを弾いていました。 大学時代は、山口大学のオーケストラに参加して活動していました。 また、大学院時代は研究所の倉庫みたいな所で弾いたりもしていました。 演奏時の音が大きいので現在は全くしていませんが・・・
――チェロを演奏されていたとは、意外でした!最近の気分転換としては何をされていますか?
藤兼:無趣味でこれといったものはないのですが、強いて挙げるならドライブに行ったり猫と遊んだりすることでしょうか。 あと、運動するのも好きで、以前教職員の方々と福岡マラソンに参加したことがきっかけとなって、今でも週に1回は走るようにしています。 前回の福岡マラソンでは、途中で足が止まり4時間40分ぐらいかかったので、次に出るなら止まらずに走って4時間30分を切れたらいいなと思っています。
――すごいですね!現在の進路を選んだきっかけは何だったのでしょうか?
藤兼:高校でなんとなく文系コースに進み、化学は好きだったので、大学はなんとなく工学部に行きました。 大学4年次に卒業研究先を選ぶ際、オーケストラで関わりのあった山口大学医学部の方々との交流を通して生物や医学に興味が湧いたのが、生物学に触れるきっかけですかね。卒業研究では実験が楽しかったので、これが仕事になればいいなとは感じていました。そのためには大学院に進学して、更に知識や技術を身につけないといけないなと思いました。 その当時は脳神経の発生について(神経細胞の細胞死など)研究してみたいと思っていましたが、大学院では希望の研究室には入れず、違う研究室を選ぶことになったんです。でも、そこでの石野先生(石野良純 現九州大学農学研究院教授)との出会いが、現在の進路を決めるきっかけとなりました。石野先生は当時、大阪大学のすぐ隣にあった生物分子工学研究所(BERI)のチームリーダーで、アーキア(古細菌)という微生物のDNA複製、修復を研究していました。私は研究指導委託という形でBERIに所属し、また、石野先生が九州大学に移ってからは福岡で研究することとなりました。とにかく、新しい遺伝子を見つけたり、未知のメカニズムを解明することが楽しくて、研究の世界にどっぷりはまってしまいました。
――大学院で大阪大学を選んだ理由は何かあったのでしょうか?
藤兼:進学先であった大阪大学には研究所が多く、理学部・医学部が研究所と一体となって学生指導を行っており、先端的な研究ができると思ったからです。また、親戚がいたので大阪にはよく行っていたことや、大阪大学に編入した知り合いがいたのもきっかけです。 あと、大学院進学では、一般的に大学4年次に所属している研究室からそのまま繰り上がるかと思います。 その場合、他大学から入学した人は一年ビハインドの状態で始まるため、競争になったときにそれは辛いなと感じていました。 進学先が研究所であれば、大学卒業後にみんな同じスタートラインで大学院生として研究所へ入るので頑張れるかなと思いました。
――先生は以前フランスに留学されていたとお聞きしました。
藤兼:大学院修了後の2006年からキヤノンヨーロッパ財団リサーチフェローとしてフランスへ留学しました。 財団からの助成期間は1年間でしたが、当時の上司が大学側にかけあってくれて、もう1年続けて大学にて研究をすることができました。その後、2年ほど現地で仕事をしていましたので4年弱は過ごしました。
――言葉の壁などはなかったのでしょうか?
藤兼:当初はフランス語については簡単な挨拶ぐらいしかわからない状態でした。 英語が得意な現地の方もいるんですが、研究先での日常会話はフランス語ですし、街では英語が通じないことも多かったので、慣れるまではあらかじめ辞書を引いて、言いたいことを準備してから話しかけるようにしていました。 その後は、赤ちゃんが言葉を覚えるようにだんだん覚えていき、電車内アナウンスの聞き取りや旅行のトラブルでも困らないぐらいは話せるようになりました。でも、もっとしっかり勉強しておけば良かったなぁとちょっと後悔しています。
――苦労されたことも多くあったかと思いますが、一番の思い出はありますか?
藤兼:フランスで過ごしていた時間やそこで出会った方々との交流でしょうかね。 上司や研究室の人、交流のあった方々にたくさん助けてもらって、有意義な時間を過ごすことが出来たと思います。みんな優しくて、今はパリに旅行するときは宿泊には困りません。ヨーロッパは狭いので、近くの国へ何度か旅行ができました。あと、苦手だったチーズが食べられるようになりました。
――現在の先生の研究についてわかりやすく教えてください。
藤兼:細胞はDNAに傷を負ったときに、それを修復するのか自ら消えるのか(細胞死)を選択して、誤った遺伝情報を子孫に残さないようにしています。その詳細なメカニズムを解明しようとしているところです。DNA損傷に応答した細胞死には関わる要因(因子)が多く、主要な分子メカニズムはわかってきているのですが、それを手助けするような因子や、関わっているけれど何をしているのかわからない因子があるので、その検証を行うというパズルのピースを埋めるような地道な作業を繰り返しています。 このことが解明できれば、抗がん剤の作用を強めることや、新しい創薬ターゲットを見つけることができるのではないかと思います。
――DNAに傷がつくのは、どういう時なのでしょうか?
藤兼:身近な例としては、紫外線があります。 紫外線により、DNAの中にある塩基が2つくっついてしまうとDNAをコピーするときに情報を誤って認識してしまうんです。 あとは放射線やタバコの煙などの化学物質、細胞内で作られる活性酸素などが挙げられますね。 でも、DNAが切れたり、傷が入るのは珍しいことではないんですよ。だから、DNA修復など、DNA損傷応答は遺伝子を守るのに日常的にすごく大事な役割をしているんです。
――次に、講義をされる際に工夫されていることを教えてください。
藤兼:なるべくわかりやすく、図を用いて簡潔に伝えることでしょうかね。 担当している細胞生物学は、他の教科の基礎となる科目であるので、なるべく専門科目に発展していった際にどのように関わるのかを示すようにしていますね。 「楽しいからより深く学びたい」と感じてもらえるように、試行錯誤しながら取り組んでいます。
――先生は助言教員として学生をサポートしていると伺いましたが、どういったことを心掛けていますか?
藤兼:気を配りつつ、口は出しすぎないようにしたいと思いながら指導にあたっています。 なるべくざっくばらんに接するように心がけて、話をしていく中で学生のモチベーションを上げられたらと思っています。
――最後に、先生の今後の抱負を聞かせてください!
藤兼:自分自身の知的好奇心を満たしながらも、現状分からないことを解明していく研究過程が何らかの形で人類の財産になればいいなと思いますね。 全てに正解があったり、良い結果が得られたりするわけではないのですが、モチベーションを高く持ちながら研究・教育に取り組んでいく中で、学生に良い影響を与えられたらいいなと思います。
――今日は貴重なお話をお聞かせくださりありがとうございました。
藤兼 講師からのビデオメッセージ